254.掴んだ手にあるもの | 彼女じゃない恋愛*愛した男には彼女がいた

254.掴んだ手にあるもの

彼から奪い取った手紙を切り刻んだ。
封筒の宛名書きの部分がビニールでクシャクシャとよれる。
切り刻めないことに苛立った。
筆立てからカッターを掴み取り、気が済むまで切り刻みたかったが無理だった。
小さくなった手紙たちがカッターでも手でも切り刻めないことに苛立つ。
「ゆうじ」だとか「愛され」だとか単語の残った紙を見つけては言葉を壊した。
切り裂けないものがある。
切り裂けないものをこの手で壊したかった。
カッターを握る手、切らねばならぬものが自分の中にあることに気づき涙が溢れる。
幸せをこの手で掴めぬのなら、それを欲するこの手を捨ててしまいたい。


眠れなかった。
一晩を明かし、賑わう町に存在する自分が不思議だった。
言葉は出ないが何かを考えている。
今、私の脳で思考回路がつなぎ目を替えているところなのだ。
そう価値観を変えねばならない。
何故…?そう思う理解できないものを組み立てねばならないのだ。


物音に気づき振り返ると、弟が私の部屋の戸をそっと開けこちらを伺っていた。
こんな時間に何事かと思ったが、時計を確認してみたらもう昼を過ぎていた。
「何?」
「うんと…レターセットが欲しい」
「用途は?」
「えっと…」
「何?!」
「えっと…」
「誰に宛てるの?友達?先生?彼女?同僚?上司?」
「女子」
「何の為に?」
「えっと…」
「あぁもぅ!聞き方が悪かったね。便箋にも色々あって、どんな紙で書こうと思ってるの?」
「読んで…」
弟に手渡された茶封筒。
「読んでいいの?」
「俺、どうしていいか判らなくて」
手渡された封筒には、県内にある鑑別所の印が押されてあった。
弟はしきりに体をくねらせている。
弟の体のむず痒さはこの手紙。
封筒を裏返すと表側が放つ威圧感とは違い、誰にアピールするつもりか知らないが自らあみ出したとされる丸く変形した文字で女性の名が刻まれていた。
封の開いた封筒から手紙を抜き出すと、弟はそっと部屋の中へ入り、私の布団の上に座り、これから読もうとする手紙をじっと見詰めた。
その手紙から判ったことは、以前この女性と弟が交際していたこと、別かれたのは彼女が捕まる少し前だったこと、そしてもう家に戻りたいという意思はないということ、つまりその手紙は自殺をほのめかす内容だった。
鑑別所から配布されたと思われる洒落心一つない便箋に、びっしり3枚書き綴ってあった。
私は手紙を折りたたみ封筒にしまった。
弟は今まで見つめていた手紙がしまわれると、大きくため息をつき頭を抱えた。
弟は責任を感じているようだった。
「俺、あいつに何もしてやれんくって…」
この状況で私は何も感じなかった。
責任を感じることなんて何もない、彼女の弱さだと…自分の弱さだと…。
ただ、自分が彼女に重なっただけに過ぎない。
「それで、今更彼女に何を告げるっていうの?」
「更正して欲しいんだよ…」
彼女は窃盗・薬・自傷の常習犯らしい。
今までに鑑別送りになったは2度、2度目に彼女を見捨てたのだと弟は話す。
「薬やめて、普通に暮らそうって言ったんだ。更正したら結婚しようって約束した。でも、止めないから別れたんだ。そしたら…」
これで3度目だ。
手紙には、唯一の支えだった弟がいなくなったのでまたやってしまったと書いてあった。
重い…未成年が抱える問題じゃないだろ…。
何故、この子達がこんなにも苦しまねばならないのだ。
彼女が重なる。
彼女は私くらい馬鹿な女だ。
信頼する男から言われた言葉を直ぐに忘れてしまう。
そして目の前のマイナスに直ぐ負けてしまうのだ。
捨てられることに怯え、言葉を信じられなくなる。
よく似ている。
「彼女さ、もしかして両親離婚してたりする?」
「おぉ!何で判った?」
「まぁいいじゃん勘だよ」
「ずっと喧嘩ばっかりしてたから離婚して清々したって言ってた」
「彼女が願った両親の結果は離婚じゃなかっただろうけどね」
弟は何も言わなかった。
彼女のことなのに、同意も否定もしなかった。
「彼女さ、何で悪いことするんだと思う?」
「解らん。いつも聞くけど、別にえぇやんばっかりや」
「悪いことするのって楽しいよね」
弟は頷きながらも難しい顔をした。
「ほら、校則破って色T着てカッコよくもないのに格好つけてみたり、夜の学校に忍び込んでプールで騒いでみたり、悪いと解っていてもスッと心が晴れる」
「あぁ」
「それってさ、元々何の為にやる行為かとか考えたことある?」
「う~ん…」
「あんたはどんな時羽目を外す?」
「むしゃくしゃした時かな」
「彼女は何にむしゃくしゃしてるんやろう?」
「親のこと愚痴ったりしてるかな」
「彼女はそんな心を晴らそうとしている…推測やけど」
「うん」
「今、あんたは悪いことをして気を晴らそうと思う?」
「うーん、あるかもしれんけどどっかでストップがかかるかな」
「そんな時、あんたはどうするん?」
「うーん、カラオケ行ったりとかしかないかもな…」
「彼女には何があるんだろう?」
「…あ、夜中呼び出されて海に連れて行けって言われたことがあった。あいつ、静かな場所が落ち着くらしくて、不思議と海見てるだけで落ち着いたことがあった」
海じゃないんだよね…彼女でもないのにそう思った。
「そっか…彼女は何故、海を見に行かなかったんだと思う?」
「俺が、シカトしたんだよ…」
「あんたさ、彼女をどう思ってるわけ?」
「ん?」
「ただ、更正させたいだけ?」
「え、だけって何だよ」
「…彼女に会ったこともないし、全てが推測でしか語れないけど、手を離すなら握らない方がいい」
「意味がわかんねぇよ」
「あんたが助けたら、あんたを失った時、繰り返される」
「……」
「その無言は理解したということ?」
「俺、あいつと結婚する気あるよ」
「自分が未成年だという事忘れてない?これから沢山の人に出会っていつ心変わりするかもしれないと仮定してそれでも言ってるわけ?」
「そんなこと解んねぇけど、これから先一緒にいたいと思うから更正して欲しいんだよ」
「これは答えじゃないし、お姉ちゃんが思うというだけの事だから一つの考えとして参考にして欲しい」
「あぁ…」
「彼女に更正する気は全くない。それは鑑別所の辛さよりも誰かを振り向かせたい、痛い心を取り除きたいと思う気持ちの方が勝ってるから」
「また繰り返し…」
「反省なんかしない、止めたいという彼女は嘘つきだよ。何が悪い!ってきっと思ってる筈。彼女は今傷の癒し場所を奪われようとしてる。大人に傷つけられ、癒し場をその大人に奪われて、耐えろって言われてる。死にたいと思っても不思議じゃない」
「鑑別から出てきたらヤバイじゃん…」
「でも、死にたいと言ったのも嘘。それはただあんたと寄りを戻したいと願う気持ち。女はズルイよ。どんな手でも使う。でもね、それはそうまでしても守りたいものなんだと思う。傷ついて薬で心晴らしてきて、自分でも薬なんていけないと思ってるけど仕方ないじゃんって思いながら過ごしてきたと思う。彼女はあんたが居てくれることで更正できると思ってる。小さな期待を胸にしまってる。この人なら…そう思う気持ちは彼女が見つけた唯一の縋れる場所だった。なのに、手を離されてさ…もう死ぬか薬しかないじゃん。あなたが居ないと生きていけないよ~って言えないから態度で示す。ハッキリ言って彼女の弱さだと思う。だけど、そこまで人間強くないんだよ…薬に手を染めた彼女は弱くない、薬に手を染めさせるほどに心を弱くしたの誰の所為って私は思う」
「親だ…」
「とりあえずもう一度言っておくけど推測だからね」
「そっか」
「まともに生きてる人間はね、晴らす場所を知ってる。カラオケだったり、スポーツだったり、世の中には悪いことと同じくらいスカッと気持ちいい事が沢山あること知ってる。何で悪いことに手を出さないか解る?」
「う~ん、悪いからとしか…」
「悪いことをすると後味が悪いからじゃない?!」
「あぁ!」
「彼女もきっと後悔してる。でも繰り返すのは、回りに誘惑する友達がいるからなんじゃない?」
「かもしれん…始めはカラオケしてたけど結局いつもやった」
「心を取り戻すことは一人じゃ無理なのね。誰もが、一人ぼっちだと駄目になる。誰かが居るから心が晴れる。落ちたとき、誰かを探さない?」
「電話しまくるな!」
「そこに居た人間と心を晴らす。そこに居た人間が悪いことに誘ってきたら、断るほど心は強くない。今すぐにでも癒したい心がある」
「負けんなよって思うよ」
「彼女が探し出す場所にあんたが居ればいい」
「俺が居なかったから…」
「あんたが悪いことを止めた時、そこには誰がいた?今、あんたの周りに誰が居る?彼女はあんたを探してる。薬や自傷じゃないと誤魔化せなかった痛い胸の傷があんたの手で癒されるのを知った。今は彼女の唯一の救い。多分、一人更正していったあんたを見て置いていかれてる気分だと思う。遠くから見守られたって不安で仕方がない。しっかり手を握ってないと、離れた手は一番近い物を握ろうとする。痛みを取り除ける頼れるものを握る。側に居た友達の手の中の薬だったり、一人っきりの夜に側にあったカッターナイフだったり…」
「一番近くにあるものか…」
「更正したら結婚しようなんて手に届かないものなんて何の意味もない。目の前の手を伸ばしたら直ぐ届くものじゃないと駄目なんだよ。未来にあんたがいるんじゃなくて、今側に居て欲しい」
「どうすれば…そんないつもいつも見張ってられない」
「そうだな…鑑別所から出てきた彼女を海に連れて行く」
「海?!」
「彼女が鑑別所で反省することなんて何もない。何も変らず出てくる。その後にまともな大人に諭されたって念仏にしか聞こえない。罪悪とか後悔とか感じる隙間なんてないんだよ。海で彼女が癒されるわけじゃない。彼女は海でやっと心の傷を知るの。そしてやっと罪悪と後悔が押し寄せる。何もないこと、そこにあんたがいること、そこで痛いと思った心の傷はあんたが負わせる傷なの」
「意味が解らない」
「コンビニのおにぎりを盗んで、どれだけの人に迷惑がかかってどれだけの人が心を痛めるかなんて正直わからないよね。ある程度罪悪を感じてコンビニの店長に謝って、母親に頭下げて~その場で処理できるものならないいけれど、心にまだ残る罪悪はどう処理すればいいのだろうって思わない?」
「後味悪ぃ~よな…」
「まだ謝れる相手が居ればいいけれど、薬に手を出した罪はどう償えばいい?」
「難っ!」
「あんたが自殺をした時、誰に謝罪しようと思った…?彼女の…悪を与えてやれるのはあんたなんだよって事。今まで生きてきた罪をこの人に謝らないといけない、そう思うことが彼女の更正なんじゃないかな」
「お前が悪いことをしたら俺に迷惑が掛かるから謝れって?!」
「いや、あからさまにやれって言ってるわけじゃなく、彼女にそう思わせてあげられたら、少しは楽になるかもしれないって話。あんたがつけた傷は、必ずあんたが治せるから。一度ついた傷をあんたがつけたかのように錯覚させるって言うのかな…難しいけどね。この海が心の戻る場所なんだって教えてあげられたらいいと思う。どんなに心痛めた時でも、思い出せる程の海を作りだせるといい…いうてること解る?」
「何となく…」
「あんたがお父さんと喧嘩して家飛び出したとき、ずっと話中だった。あんたが夢中で掛け続けた場所、向かった場所、探していた人がそうだと思う。睡眠薬を飲んだ時、誰も側には居なかったよね…。だけど、見つけてくれた人が居ることを忘れちゃいけない。あんたはこれから彼女のそんな人になるんだよ」
弟の視線を見定めることができない。
弟は何を見ているというのか。
「鑑別居る時に貰った姉貴からの手紙まだ持ってるよ」
私は返事もせずに、便箋を探した。
「一応、あまり硬くならずふざけ過ぎない白の便箋がいいんじゃない?」
「あぁ、これでいい」
「書くこと決まった?」
「そうだな…とりあえず俺が守らないとって思ってる」
「果たせない約束ならしないほうがいい」
「俺、待ってるよ」
「好きにしな!」


少し私情を挟みすぎた。
果たされない約束だったとしても、その時救われたことは確かなのに、失った時の傷をどう癒せばいいのかなんて私にはまだ解らないから…彼女の側に弟が連れ添うことが正しいことなのかどうか解らない。
今、私はこの痛みを受けるのなら、始めから…そう思う時がある。
だけど、他の術を知らない。
本当に本当に唯一だった。
死を選ぶのは弱さなんかじゃない、逃げなんかじゃない、卑怯なんかじゃない…それだけの痛みに耐えた結果だ。
だけど思う、たった一人側に居てくれるだけで癒える傷があること、死の選択は馬鹿らしい。
何故、たった一人なのか…。
親が子を愛していないのか、子が親の愛を感じないだけなのか、だとしたら何故愛を感じられないのか…。
それでもたった一人の愛を救いに思う。
初めて出会った愛のように。
「あのね、今日のんちゃんと遊んだの」母親の愛を確かめることを何処で覚えるのだろうか。
私は一度だってやった覚えはない。
学校で教わる家族愛は、他人事に聞こえる。


弟は3時間ほど部屋にこもって手紙を書いていたようだ。
私は彼に電話をする。
繋がらない電話。
<あのね、聞いて欲しいことがあって電話した。また時間できたら電話ください>
そこに壁があることを知りたくなくて「あのね」を詰まらせる。
お願いです、私の唯一を奪い取らないで…。
彼に「あのね」とメールする。
彼の愛を確かめるため?
違う、私は一人じゃないんだと確かめるために。
そこに在るカッターナイフを手にしないために。



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