256.心の傷 | 彼女じゃない恋愛*愛した男には彼女がいた

256.心の傷

一人考え込む日が続いている。
四六時中。
暇さえあれば、考えた。
夢中になれることがないという事が、私に考える余地を与える。


気づけばほおづえをついている。
鼻から音が耳に伝わるほどの息が漏れている。
思考と行動はバラバラだ。
そう思いながらも、体はピクリとも動かず、私は自分を観察している。
目で見るものに対し、私は何を見ているのだろうかと考えてみる。
視界には携帯が微かにぼんやり見える。
多分、私は携帯など見ようとはしていない。


何故人は去っていくのだろうか。
そう思ったとき、母親の顔が浮かんだ。
彼のことを考えているのに何故母親なのだ。
大きく息を吸い込みかき消そうとした。
大嫌いだ。
感情が暴走を始めている。
大嫌いだなんて嘘、私はそんなこと微塵にも思ってはいない。
そう思う私が、唇を噛んでいるのにまた気づく。
ゆっくり噛む力を緩めた。
考えちゃだめだ、良からぬ事を考えてしまう。
良からぬ事?どちらが?暴走する感情?それとも、否定する私か?
また、定まらぬ視線で考え込んでいる自分に気づき。
誰にアピールするわけでもなく、今まで何も考えてはいませんでしたよと言わんばかりに、そうっとそうっと徐々に体を動かす。
電車の中で居眠りをしてカクンッとなってしまったサラリーマンのように。


人には多分、心にその場その場に対しての免疫があると思うのだ。
心が傷つかない免疫。
だからこそ、人はその時その時に判断を下す事ができる。
イチイチ動く心に対処し傷ついていたら、何もできはしない。
例えば、嫌な事を言われたとして、チクリと胸が痛んだとしても泣く・怒る・改めるなどなど人は傷つかない選択をする。
それでも傷ついていることに変わりはないと思うかもしれないが、私の思う「傷つく」とはもしかしたら違っているのかもしれない。
嫌な思いをすること胸が痛むことと、心の傷とは私は違うと思っている。
それは、私個人の痛みの判別なのだけど、心が感じる痛みが違う。
私が言う傷は、残る。
ずっとそこにある。
ふと思う、私は心の免疫があったにも関らず、いつ傷ついたのだろうかと。


頭の中には、母親が消えずずっととどまり続けている。
あの人は今いったいどんな生活をしているのだろうか。
生きているんだろうか。
何年も連絡をよこさず、それでも母親なのだろうか。
もしかしたら再婚しているかもしれない。
もし、今連絡があったとしても、困るんだろうな。
母親って何だろう?
私はあの人に対して、何を求めたらいいんだろうか。
離婚しても母親は母親…だったら、私はあの人にどんな風に接すればいいんだろうか。
今、連絡があったとしてもお隣のおばさんにしか思えない。
母親が母親だったころ、私はどんなだったっけな。
思い出される母親はとても怖かった。
何度も殴られた、家の柱に縛られた、押入れに閉じ込められてそこで食事を取ったこともあった、冬の寒い日にパンツ一枚裸足で玄関に放り出され締め出された事もあった、包丁を突きつけられたこともある。
だけど、思い出される母親の顔はとても笑顔だ、笑っている。
どんな怖い顔をして怒っていたかなんて覚えてはいない。
中学生の頃まで続いてていたそれを、私は思い出せない。
思い出す母の笑顔は、いったいいつのものだろうか。
いつ何処で何をした時の母の笑顔か判らない。
ただ、顔のアップだけを映した写真のようにいくつもの笑顔を思い出すことができる。
怖かったな、何故こんなにもヒステリックになるのだろうかと不思議でしかたなかった。
幼かった頃、母親には悪魔が取り付いているのかもしれないと本気で思っていたこともあった。
当時、テレビでやっていたアニメのセリフを心の中で唱えたりした。
「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム」
それが、悪魔祓いの呪文だったかは定かではない。
子供心に何となく善くなるような気がしていただけだ。
そういえば、あの頃どんな嫌な事があったって傷つくような事はなかった。
悪い子だと言われても、良い子になれるのだと信じて疑わなかったし、アホだとかうっとおしいなどと罵られようが、ショックだった事は確かだが次の日には母を求めていたように思う。
「お母さん、お母さん…」
何を求めてたっけな…思い出せないや。
胸の痛みに我に返る。
どれくらい母親のことを考えていただろうか。
あの頃は感じなかった胸の痛みが、今私の心にある。
私は側にあったクッションをイジイジと弄り倒していたようだ。
クッションはよれ、しわくちゃになっている。


何故人は去っていくのだろうか。
不意にまたそこに戻る。
断片的な感情は私を困らせた。
否、判らないフリをしているだけなのかもしれない。
認める認めないとかじゃない。
もう終わってしまうからなのかもしれない。
心の傷が消える瞬間。


彼が終わりにしようとした日を思い出す。
騒ぐほど私は傷つかなかった。
そもそも彼は傷つけるような事など一つもしていない。
ただ、恋が終わった、それだけの事。
泣いて、叫んで、あと何をしたっけな、それでもスッキリしなくてまた泣いてみた。
色々考えて、自分が可哀想だと思った。
過去を穿り返して、また同じだったと可哀想に思う。
胸が痛かった。
その痛みは今も私の中にある。


傷つけたのは自分だったのかもしれない。
私は確かに傷つかないように試みた。
だけど、傷つかないと心が忘れてしまうから…。
心は何度だって傷つける事ができた。
そういえば、そんな思い出が凶器となる。


また母親の笑顔を思い出した。
何故今までこんな事を忘れていたのかな。
母親が私に言った。
「せのちゃん、一緒に死のうか?」
私は母に「嫌だ」と言った。
その時の母の笑顔はを永遠だと思ったんだ。
その笑顔が今私の心を傷つける。


もう終わってしまった戻らないものだということ。
傷ついた心は時が癒してくれるという。
傷ついた心を癒す人が現れるという。
自分の胸の痛みを感じて、それは違うかもしれないなと思う。
だって、私が凶器を握らなければ今すぐにだって終わってしまうものだから。

心を傷つけるか傷つけないかは、私が選ぶ。

あの頃を思い出して、可哀想だと自分に同情するのだ。

傷をつけ癒してもらうために…。

その相手は他の誰かじゃ意味のないことで、心の傷はもしかしたら誰かを思い自分の為にあるのかもしれない。

私は思う、傷を大切にしたいと。


ただ、心に刺さったままのナイフもある。
彼が一度抜いてもう一度刺した。
私にはそれが抜けない。

触るだけでも痛い。
多分、このままの状態が一番いいと思う。

これだけは、何故あるのかさえも意味がわからない。

抜いて欲しいと思う。
ナイフを抜いて、穴を埋められる男はまだ現れてはいない。



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