258.突然の誘い | 彼女じゃない恋愛*愛した男には彼女がいた

258.突然の誘い

過ぎ行く時が早かった。
過ぎた時に言葉を当てはめてみる。
「落ち着き」「何もない」「痛み」「思い出せない」「家事」「臆病」「孤立」「囁き」「戸惑い」「離隔」「不必要」「空虚」「爽快」何でも合うような気がした。
私のどうでもいいこの数週間は、どうにでも創り上げられる記憶なのだと改めて思う。
だったら「楽しい」日だったと呼んでやろう。
最近どうかと聞かれたら、楽しかった答えよう。


彼からは一切の連絡はなく、親友もどうやら元の鞘におさまったらしく音沙汰はない。
私から連絡を取ることもないので、見た目穏やかな日が続いていたと思う。


7月も半ば、暑さが気持ちいいと言っていられる日が減りつつある。
週末の午後。
天気がよく、窓から照りつける太陽が少しだけ気持ちよさを誘う。
太陽は、無条件に幸せを与えてくれるなとグダグダ想いに浸っているのは、こんな天気の良い日に外にも出ようとせず、部屋でゴロゴロとしているからだ。


そんな小さな幸せが心に強く刻まれたのは、落差激しい心の痛みが押し寄せたからなのかもしれない。


もう何週間も鳴らずの携帯が大音量で鳴り響く。
いつにもまして大きな音に聞こえた。
焦りからか体がすくむ。
胸がキリリと痛んだ。


「も…もしもし」
「もしもし、俺」
「はぃ…」
「お前、今なにしてんの?」
「で、電話」
「はぃはぃ、で、何してんの?」
「いや、何も…」
「こんな天気の良い日に家でゴロゴロなんてつまらんやろ」
「別に…」
「最近、外でてんのか?」
「いぃや」
「いつから出てないん?」
「ゆうじと会った日から」
「はぁ?もう1ヶ月にもなるやん」
「……」
「外には出なあかんぞ」
「…怖いもん」
「怖くない」
「怖くなくなったら出る」
「あのな~!みんな外は怖いと思ってるんやぞ」
「みんなが同じように耐えられるとは限らない」
「お前は、やり方を知らないだけや。みんな学んでるねん」
「他人とお前は違うって言ったり、同じって言ったり…」
「とにかく!化粧しろ」
「なんでよ」
「映画いくぞ」
「はぁ?」
「今から1時間後に迎えに行くから」
「ちょ、ちょっと待ってよ!OKだしてないでしょ」
「俺が行くって言って引いたことなんてあったか?」
「ない…」
「俺はこれからお前に会いに行く」
「勝手やね」
「今、気づいたん?」
「ずっと知ってる」
「やろ!遅れるなよ!遅刻も俺は嫌いやから」


突然の彼からの誘いだった。
「何故?」単純に聞きたかった。
もう連絡はないような気がしていた。
会えば辛い、会いたくない気持ち。
不思議に彼の強引さが心地よかった。


「久しぶり」
車の中から微かに彼の声が漏れてくる。

1時間と少し経ってから彼が、私の家の前まで迎えに来てくれる。
彼の車の助手席のドアを開けると、すかさず笑顔で彼は話し始める。
「天気いいよな~」
私は、不自然な彼の言動をチラチラ伺いながら助手席に座りドアを閉める。
「映画もいいけどドライブもいいかもな~」
伏目がちに彼の顔を覗く。
彼はずっと前を向いたままだ。
一度も目は合っていない。
「う~ん、今日のせのりさんはいつにもまして無口や」
「そう?」
「おはよっ!」
「お、おはよう…」
「元気ないな~」
「…ゆうじのそれも空元気でしょ?」
「え?!」
「何かあった…違う?」
「な、急に何を言いだすねん。何もないよ~」
「そう?なんか落ちこんでそうやったのは勘違いかな」
「…確かにちょっと考える事はあるけどな」
「だから、会いに来たんでしょ?」
「そ、そんな…うん、まぁそうかもな…」
「話したくなったら話して…」
「…とりあえず、映画、いくか」
走り出した車、無言、何で私たちは会ってるのかな。


「最近メールくれんよな」
「必要ないんでしょ?」
「俺?」
「不必要なメールは送らないで欲しい」
「なにそれ?!」
「ゆうじがウチに言ったんだよ」
「別に不必要だとは思ってないよ」
「返事がないってことは必要ではなかったんだよ」
「あぁ…何か電話してとか言って…たな…ごめん、忙しくて」
「別にいい、ウチはゆうじに対して不必要なんて思ったことないけど!」
「ごめんって、俺ほんまそんな酷いこと言った?」
「ウチはいつも真剣に話してるし、ゆうじの言葉は忘れない。きっと、ゆうじにとってはそんな時間も不必要だったんだよね」
「ホントごめんって。じゃ、撤回する」
「別にいい。メールしなかったのはゆうじを頼ってなかったんだと思う」
「…そっか」


強がりだったのかどうかさえ解らなかった。


いつもの映画館につき、映画館ロビーの奥にあるソファーで待つよう彼に言われ、そのソファーに腰を下ろした。
彼は入り口付近の発券窓口に出来た長い列に並んでいる。
遊園地のアトラクションとは違い、長い列はあっという間に散る。
チケットを片手に彼は私の元へとゆっくり歩み寄り、私の横に腰を下ろした。
「微妙に時間あるわ」
「ここにいる?」
「う~ん、そうやな!今からじゃ何処にも行けんし、ちょっと話そう」
「何、話してくれるん?」
「俺?」
「言いだしっぺがネタ提供するもんでしょ~」
「う~ん、そうやな?」
「何、何~?」
彼の横顔をじっと眺めた。
いくつかの話題が頭に浮かんでいるであろう彼の顔と彼の想像はリンクしているのかもしれない。
小さく彼はいくつかの表情を見せてくれた。
彼は少し罰の悪そうな顔でこちらを向く。
次の瞬間、私はとっさに頭を抱え顔を?頭を?防ごうとした。
殴られると思った。
彼があげた手に反応した。
痛くない。
彼は私の頭を優しく撫でていた。
反射的につむった目をゆっくり開いてみる。
固まった、頭を防ごうとした腕を下ろすことが出来ずに腕の間から彼を覗きみた。
「何でそんなビビる?」
「いや、えと…何?」
私にはもうこうして優しくされる選択はなかったんだ。
彼でさえ、振り上げた手を恐怖に感じた。
「嫌か?」
「嫌…じゃない」
「そっか…」
「うん」
私はそっと構えていた腕を下ろした。
彼の顔は見れない。
彼はずっと私の頭を撫でたままで話を続ける。
「こうやって頭を撫でたり抱きしめてやると、不思議とお前はいつも落ち着いたよな」
「うん、ホッとする」
「殴られると思ったか?」
「…ぅん」
「何で俺がお前を殴る?」
「解らないけど…」
「人はむやみやたらに危害は加えないし、怖くない」
「……」
「怖がってばかりじゃ何もできないぞ」
「……」
「ん?」
「その手が、離れるのが怖い…」
一瞬、私の頭を撫でる手が止まった。
「俺、あれから家に帰って後悔したよ」
「後悔?」
「あぁ、何で抱きしめてやれなかったんだろうって」
「ダメだからだよ」
「そうだな!だけど、他にお前を守れる術を知らない」
「…居てくれたらいい」
「そうもいかないだろう?」
「何で…」
「お前にもいつか彼氏ができる」
「出来ないよ…」
「できるから!」
「やだ!」
「俺がいけないんだよな…こうやってお前の頭を撫でてる限り他の男が触れられない…」
「いいの、これで」
「俺な、未来の男に嫉妬したよ。抱きしめてやりたいと思うのに出来なくて、それが出来るのは別の男なんだって思ったら」
「別の男なんてこれから先あらわれないよ」
「だけど、そうしなくちゃいけないんだ!わかるよな」
「分らない」
「何でだろう…何で…」
「ゆうじには、好きに人がいます」
そういった後、彼は無言でしばらく私の頭を撫でたあと、私の背中を這うように力なく腕を下ろした。
彼の手が行き場をなくしたかのようで、力なくソファーに転がってるようにみえた。


それからは何でもないテレビ番組の話なんかをして映画の時間を待つ。
無言の方が多かったように思う。
何となく映画を見て、何をするでもなく真っ直ぐ彼は駐車場に足を運び、私はそれに続く。
その間「おもしろかったよな」なんて台詞のような会話を交わした。
車は走り出し、真っ直ぐ真っ直ぐ私の家へと向かっているのがわかった。
太陽のかげりが、私に長い影を作らせる。
「今日はありがとな、付き合ってもらって」
「うん」
「良い気分転換になったよ」
「うん」
「俺、仕事戻るわ」
「仕事中やったん?」
「給料もつかない休日出勤!」
「ふ~ん」
「興味なさげって感じやな」
「そんなことは…」
「わかってるよ!また、メールしろよ」
「いい」
「なんで?まだ気にしてんのか?」
「返事が返ってこないのが嫌なだけ」
「返すから、な!んじゃ、俺からメールするから返せよ、な!」
「考えとく」
「そか」
彼は少し笑って流した。
「お前、頑張れよ!まだまだ可愛いんやから、な」
「うん、もっと色んなところへ行ってみる。で、好きな人が出来て新しい恋愛をする」
「……」
強がったからだろうか、彼が求めているであろう言葉に彼の答えはなかった。
「少しの勇気で変わると思う。だからゆうじも頑張ってね」
やっぱり彼の答えはなかった。
何も言ってくれなくなった。
無言。
「ゆうじCDは?」
「え、あ、忘れたっていうか、家寄ってないから」
「んじゃ、また次貸してね」
「あぁ」
「絶対だよ」
「あぁ、次会う時、必ず持ってくるから」
「うん」
「で、その次は必ずカラオケで歌ってもらうからな」
「うん」
何でかな、次はないような気がしたんだ。
だから、もう一度彼に抱きしめてもらいたかった。
「ゆうじ…」
「ん?」
「バイバイ」
「おぅ、またな」


車を降り、ドアを閉める。
見送るために一歩さがる。
車内には手を振る彼が居る。
笑顔を作って振りかえす。
見送るはずが、動き出さない車にどんな思いが込められているのか後ろ髪を引かれるような重たさを感じ、私は車の後ろを回って家ゆっくり入った。
振り向かなかった。
家のドアを閉め終わると、エンジンの音が聞こえてきた。
体いっぱいに息を吸い込み吐き出した。
強くなる心が寂しかった。



[ ← 257 ]  [ 目次 ]  [ 259 → ]