260.失った言葉 | 彼女じゃない恋愛*愛した男には彼女がいた

260.失った言葉

いつからかは解らない。
それを顔色を伺うと言うんだろうか。
思い出せるのは中学の頃、人の腹の声が聞こえだした。
腹立たしかった、裏表のある人間関係が。
聞こえた声に蓋をして人を傷つけずに大切な人を守った。
聞こえた声を荒立てて大嫌いな人を黙らせた。
私が一番腹黒かったのかもしれない。
誰にも自分の腹の中は見せなかった。


登校拒否を始めてから、毎日誰かが学校の公衆電話から連絡があった。
想像はつく、その日の日直だろう。
そのことが仕事かのように義務を果たすべく連絡が入った。
私は言う「行かないよ」。
その一言に、電話の主の後ろから声が漏れる「何考えてるか解らない」。
人間不信という言葉が頭に浮かぶ。
私はその頃から、登校拒否の理由を人間不信にした。
本当の理由は自分でも解らない。


後になってわかったことだが、学校では私がレイプにあったという噂が流れていたらしい。
レイプが理由で学校を休んでいたわけではないが、それは後に本当になる。
二十歳になってからの同窓会だった。
「レイプされたってほんま?」
噂だからこそ聞けたことなのだろうが、私はレイプにあって間もなくだった。
「本当だったら?」
私はレイプされそうな女なのだろうか、皆が黙った。
そんな目で見られていることに、私は人の目を怖がった。


友達の何人かは早くも結婚をするようになっていた。
自分にはまだ彼氏と呼べる男の人すら側にいない。
知り合った男性は、何故だろうか私を2号にしたがった。
条件を提示されて、体だけの付き合いが何人も続く。
私はそれなりに真剣だったが、誰かを好きになることはなかった。
相手が本気になってくれさえすれば、結婚もしていただろう。
そんなもんだと思っていた。
人を好きになるってこの程度なんだと。
人の付き合いなんてものは利害関係のなにものでもないと。
腹の声が聞こえる「馬鹿な女」。
だから私は思う「馬鹿な男」だと。


そして彼に出会う。
彼に言われた言葉は、私の心を突き刺した。
とても痛かった。
それがとても嬉しかったんだ。
心というものは何かを感じることが出来るんだと知った。
心というものが胸にあることも知った。
素直になること、それは心に感じるということ。
「心が痛い」そう口にしたとき肩の荷がおりた。
笑えた、それが強さだと思った。


素直と強さは、不思議に人の腹の声を消した。
目の前にいる人の心がわからなくなる。
とてもそれが怖かった。
嫌われたどうしよう…。
何も言えなくなった、言葉を失う。
だけど彼には何でも話せた。
「一生一緒」彼は安心をくれた。

話し合えること、解り合えること、感じ合えること、素直と強さは私の生き甲斐でもあり生きる術になった。

心があるから生きられるのだと思うようになっていた。

昔の私は死んでいた…。


彼が居なくなる。
私はどうしたらいいのだろうか。
彼が何を思っているのかわからない。
嫌われたのだろうか…。
何もいえなくて、言葉がでてこない。
誰にも何も言えなくて…。
心は何も感じなかった。


親友の誘いで色んな男性と会ったが、親友は私に彼氏がいると私を紹介する。
出会いはなかった。
私に彼氏がいるとわかって寄ってくる男性は、2号を望む。
「彼氏と会わない日は俺とデートでもしようよ」
人が何を考えているのか判らなかった。
無口で詰まらない女と私は呼ばれ始める。
そして「無感情」私の大嫌いな言葉を耳にする。
一瞬腹立たしかったが、怒りきれなかった。
怒り方を忘れた。
心の場所がわからなかった。
のどにつっかえる言葉。
息苦しかった。
「帰る」その言葉を最後に私はまた引きこもった。
感情を言葉にしようとした。
つっかえる言葉は、発作を引き起こした。


怖くて怖くて彼にメールをする。
<何も感じないの。どうやって心を感じればいいの?誰とも話せない>
ずっと連絡のなかった彼から直ぐに返事が返ってきた。
<なかなかメールできなくてごめんな。誰かと交わりたいという気持ちが少しでもあれば、時間は掛かっても必ずお前に戻れる。お前のペースでいい。頑張れ>
素直と強さを平行させて考える。
私には出来ないことなんだ…頑張らないといけないことなんだ…。
<ゆうじが前を歩いてる…。置いていかれる。誰も待ってはくれなくて…私は頑張るしかない>
彼の返事はなかった。
どんな言葉を待っていたのかはわからない。


発作を繰り返し、このまま死んでもいいやという気になる。
怖さだけが積もり、じっと部屋に閉じこもった。
じんわり汗が滲む。
もうすぐ8月。
クーラーの電源を入れた。
彼に電話する。


「もしもし…」
「せのり、どうした?」
「辛い…」
涙がどっと溢れた。
そう、辛かった。
「苦しいの…」
そう、苦しかった。
「もう頑張りたくないよ…」
言葉が溢れる。
「男の人が怖い…」
今までのことを思い出しながら言葉を吐いた。
「それで?」
「…え?!」
彼の言葉に続く言葉はなかった。
「辛いから何?苦しいから何?頑張りたくなかったらどうするわけ?男が怖くて何?」
「えっと…うんと…」
「何でお前は何も言わないの?」
「え…えっと…」
「素直になるって言ったよな?強くなるって言ったよな?」
「うんと…」
「それで頑張ってたわけ?」
「頑張って…」
「何?」
「辛いんだもん」
「俺を責めてるのか?」
「そ、そんなことはない!ただ…」
「ただ何?」
「自分が何を感じてるのか知りたかった。話ができる人が欲しかった」
「で?」
「で…って…」
「それで?」
「……わからない」


無言だった。
言葉を探した。
何か言って欲しい。
彼の言葉で私は心を感じることができるから…。
お願い、何か言ってください。
涙だけが溢れた。



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