261.カウンセラーじゃない | 彼女じゃない恋愛*愛した男には彼女がいた

261.カウンセラーじゃない

「話すことないなら切るよ」
とても低い声で、彼は無言をさく。
男性のこの声を女性は余り耳にすることはない。
男性を男性だと実感する瞬間、男性を怖いと思う瞬間ではないだろうか。
そんな話し方しなかったじゃない…。
「怖い…」
私は彼に媚びる。
私は女なのだから…と。
「怒ってないよ」
彼のトーンが少し上がる。
「面倒臭いんだ…。話したくないんだよね」
「そんなことない。ちゃんと聞くから」
彼のトーンが更に上がる。
別に私のご機嫌を取らなくともいいはずなのに、彼はいつもよりもゆっくりとした口調で子供をあやすかのように優しく話す。
「ウチ、ゆうじと話をしていたい」
「話、してるだろ?」
「うん…もっといつも話をしていたい」
「何の話をしたいの?」
「その日の楽しかったこと悲しかったこと」
「毎日は聞いてやれないよ…」
「聞いてもらえないと、自分がその日楽しかったのか悲しかったのかさえ分らない」
「自分の気持ちだろ…何で俺が教えてやらないといけない?」
「何でだろう…」
彼は直ぐに答えをくれなかった。
何で?何で?何度も心の中でつぶやいた。
「もっと外に出て、色んな人と接していかなくちゃいけないよ」
「話を聞いてくれる人がゆうじしかいない」
「作ろうとしないだけだろ?!」
「違う…ゆうじだって思ってた筈だよ…なんでこいつこんなに話すのがとろいんだって…」
「思ったことないよ」
「言葉を受け取って吐き出すまでに時間が掛かることくらい自分でよく分ってるし、少しでも早くって思ってる。だけど…私の言葉を待ってくれる人なんていない」
「必ずいるから…」
「何で…私が頑張らなきゃいけないの?話を聞きたいって言ってくれたゆうじがいたから…それじゃダメなの?」
「それでいいよ。無理はするなっていっただろ?」
「言った…でも、ゆうじが聞いてくれないから…一人ぼっちが嫌で…」
「そうだよな…ごめんな。俺が全部悪いんだよな!」
「何で…何でそんなこと言うの?」
「そうだろ!お前が話すことは全て俺を責めてるわけだよな?!」
「違うよ…聞いて欲しいだけ…だよ」
「それで?俺は何ていえばいい。何て言って欲しいの?!」
「そんなじゃ…ないの…お願い…解って…ください」
「解ったから」
「解ってないよね…」
「もうその話はいいから」
「嫌…解って欲しいの」


どれくらい無言が続いただろうか。
「あのね…」
「うん」
無言を消し去る相槌を彼は打ってくれる。
いつもそうだった。
初めて言葉を交わしたときから、私の言葉を待ってくれた。
私の無言を皆は「無感情」だと言った。
私の感情を聞いてくれるのは彼しかいない…私は思ったんだ。
「友達を作ろうと思ったの」
「うん」
「ダメだった…」
「何でダメだったの」
「セックスが付きまとうから」
「女の子でもいいんじゃないのか?」
「女の子はあの子だけでいい」
「そっか…彼氏作ろうと思ったんだな?」
「…うん」
「そんな奴とは仲良くならなくて良かったと思えばいい」
「うん、良かった…」
「全てがそんな奴ばかりじゃないから」
「でも、いつも同じ」
「……」
「…なんで何もいってくれないの?」
「ん?あぁ…お前、仕事は?」
「したくない」
「何で?」
「……」
「何で?!」
「怖いから」
「何が?」
「……」
「何が?!」
「言いたくない」
「やりたい仕事とかないの?」
「やだ!もうやらない」
「いくつか面接受けてただろ?」
「嫌なの…」
「何が?」
「今、言わなきゃダメなの?前にも言ったよ…」
「お前はずっと過去を引きずって生きてくのか?」
「おかしいことかな?」
「そりゃ痛いんだろうと思うよ、だけど痛がってばかりじゃ何もできない」
「痛くなんかないよ、痛くなるのが嫌なんだよ」
「レイプされたのはお前だけじゃない。世の中にはそれでも頑張っている人がいるはずだ」
「何で、レイプされた人間が頑張らないといけないのよ…」
「……」
「そんな所で頑張る必要なんてなかったはずだもん」
「そんなこと言ったって、変えられないだろ」
「何で?男は何でセックスしたがるの?私を見てヤりたいって言うんだ、何で?肩を触ってきたり時には胸を触られて、挙句浮気相手や愛人にしたがる。ゆうじはウチを見てどう思った?」
「……」
「何か言ってよ!」
「女性の魅力が自分の意思とは別に溢れている女性は沢山いるよな。だけど、その女性たち全員がそういったレイプやセクハラを受けてるわけじゃない。お前の在り方にも問題があるんじゃないのか?」
「ゆうじもウチがそんなだからセックスしたんだね…」
「違う」
「軽い女に見えるんだよね」
「違うって」
「だったら、どうしたらいいのかなんて判らない。ウチは普通だもん」
「…そうだな」
「わからないから、嫌」
「お前さえしっかりしていれば大丈夫だよ」
「ウチの意思が緩んでやられたと思ってるわけ?」
「ごめん、言い方が悪かった」
「許したことなんて一度もない。ウチはゆうじとセックスがしたいと思ったんだ」
「ごめん…もういいよ、せのり。ゆっくりでいい。だけど、必ず違う明日が来る。これだけは信じて」
「違う明日なんていらない。ウチはずっとゆうじの言葉を信じてきた」
「なら、信じられるだろ?」
「最後だと思ったんだ。この胸の痛みがゆうじで最後だと思ったんだ。もう、痛むことはないって信じて、この痛みを乗り越えさえすれば幸せになれるって思った。なのに…また、痛みがやってくる。何度、胸を痛めたら幸せになれる?」
「過去を捨てろ…」
「捨てられるわけないじゃん」
「捨てろ」
「捨てさせてくれなかったのはゆうじでしょ!」
「……」
「この何年間で色んなこと思い出した。何で笑わないの?聞いたのはゆうじ。何で名前で呼んでくれないの?聞いたのはゆうじ。何で触れてくれないの?なんでセックスで泣くの?何でセックスで震えるの?何で何も話さないの?何で好きって言ってくれないの?何で気持ちを出さないの?楽しいの?悲しいの?怒ってるの?泣いてるの?素直になれ、強くなれ、泣いてもいい、甘えろ…俺が守るからって言ったのはゆうじ」
「確かに言った。癒せたとも思ってた」
「また、聞かれるんだよ…。彼氏ができたとしても、セックスして何で震えるの?って…。何て言おう?もうウチは話したくないよ、嘘もつきたくない。そりゃね、引いちゃう人もいるだろうけど、好きになってくれる人だったらきっと受け入れてくれると思う。それが最後だったら、笑顔で話すよ。胸に刺さったナイフを、そっと抜いてくれると思う。ゆうじと体を重ねる度に胸が軽くなるのを感じてた。セックスって怖くないじゃん、気持ちいいじゃん、幸せなんだなって思った。ゆうじも感じてたでしょ?ゆうじは、だったら俺じゃなくても大丈夫って思ったんだよね…。でもね、あるんだよ胸にナイフが…。何のセックスだったのかな…」
「性欲だけで抱いたりはしていないよ」
「ふふ…ありがとう。でも、何も感じない」
「……」
「確かなものが欲しかった。じゃないと、もうナイフを抜く勇気は出ない。すごく…怖かったんだ。戻りたい…何も感じなかった頃に…痛みなんて知らなかった頃に…セックスなんて簡単だった。愛されてなくったって寂しくなんかなかったもん」
「本気で言ってんのか?」
「何でゆうじだったのかな」
「……」
「きっと世の中には、ウチにあった人が沢山いるよね」
「……」
「これから出会ってももう勇気出せないや」
「…俺じゃなくてもよかったってことか?」
「そうだね『ゆうじだった』んだだろうね」
「どういう意味?」
「話を聞いてくれる人だったら…タイミングだったんだね」
「……」
「何で彼女のいる人とか、直ぐ心変わりしちゃう人だったんだろう」
「出会わなきゃよかったか?」
「感謝してる。私の心を見つけてくれてありがとう」
「……」
「ウチ、話せる人ゆうじしかいないんだ。ゆうじに心開いちゃった。もう閉じられないよ」
「俺はどうしたらいい?」
「話を聞いて…」
「お前の話を聞くってどういう意味なんだ?」
「もっと解って。もっと理解して」
「理解しているつもりだよ」
「じゃ、何でウチの心はこんなに複雑なんだろう?ウチの知ってる言葉とゆうじが知ってる言葉が違うんじゃないかって時々思う。どんな言葉を吐き出したら伝わるんだろうっていつも思う」
「解ってるよ」
「うぅん、違うと思う。ウチ、伝え切れてない。もっと伝えたいの。吐き出したい」
「はぁ…」
彼のため息でまた無言が訪れた。


「なぁ、せのり?」
彼はこの無言で、ある意思を固めたかのように深く私の名を呼んだ。
「俺を責めろ、もっと憎め」
「何で?」
「お前はそうしないと次へ行けない気がする」
「それってゆうじが楽なだけなんじゃない?」
「あぁ、それもあるかもしれない。お前には本当に悪い事をしたと思ってる」
「そう?」
「混乱させてるのは俺だ、それは自分でよく解ってる。素直になれと言ったり強くなれと言ったり甘えろと言ったり甘えるなと言ったり…素直になれって言ったのは俺、それを拒んでるのも俺、俺を責めてお前がやりたいようになればいいんじゃないのか?」
「…よくわからない」
「うん…そうやって解らないフリする女もいるけど、お前は本当に自分の感情をみつけられずに苦しんでるのもよく知ってる。それに、お前が感じてることは俺がよく知ってる。俺が言ってやってもいいが、必ずしもそれが正解とも限らない。お前は、今までずっと俺が言うことを忠実にやってきた。でも、それじゃ人形と変わらないんだよ…」
「なんで?ゆうじが何か言ってくれたら、ウチは確かに感じることが出来る」
「今、素直になれって俺が言ったら何て言う?俺が強くなれって言ったら何て言う?お前は俺の操り人形じゃない」
「強くはなりたくない…素直になりたい」
「……」
「それじゃダメ?」
「だったら?」
「話を聞いて欲しいって思ってるよ」
「声が聞きたかったって何で言えない?」
「え…」
「嫌われると思ったからか?」
「え…違っ…そんなこと…」
「思ってなかったのか?じゃ、何で俺?ってこんな事自分で言うのも変な話だけど、そうだろ?」
「ただ…」
「ただ、何?」
「ただ…自分が壊れそうで怖くてそれしか頭になくて…頼ったのがゆうじだった。ゆうじなら何とかしてくれるって…」
「俺は弱音を吐くためだけにいるのか?」
「そんな時じゃないと話してくれない」
「俺と話すためにそうしてるのか?」
「違うよ!本当にいっぱいいっぱいだったんだ」
「俺ら、別れたときに一緒に頑張るっていったよな?」
「うん」
「俺もくじけそうになるけどお前に弱音は吐かないだろ?」
「話してくれればいいじゃん」
「話して何の意味がある」
「励ませる」
「俺はお前の話を聞いて励ますことは出来ない」
「そっか…」
「素直になりたいと思ってるんだろう?だったら強くなれ」
「でも、毎日強くは生きられない」
「弱音じゃなく、もっとしっかり自分持って話をしろ」
「わからないから…」
「何でもいい、自分に答えを与えてやれ。何で何でって思っててもしかたないだろ?素直に思ったことでも、それが捻くれた形でもいいし、間違っててもいい。対極にある思いがお前の中にあるから、どちらも認めることが出来なくてわからないフリをしてるだけだろ」
「どういう意味?」
「俺に遊ばれたんだ、そう思うことあるだろ」
「……」
「好きなのに何で好きになってもらえないんだろうって思うだろ」
「……」
「俺を信じてくれることは嬉しい。だけど、そんな風に思ってもいいんだよ」
「思ってない」
「俺はお前にちゃんとした言葉で説明してやることが出来ない。嫌われるような事を言って憎まれてもいいって思えないのは俺のズルイところだ。いつまでもお前に好かれていようとしている」
「だったらずっと側にいてくれるでしょ?」
「そばにいるしお前を守ることも裏切らない。ただ、俺がいなくてもちゃんと生きられるようになって欲しい。罵ってくれても構わない。甘えたければ甘えればいい。お前の意思がお前には必要なんだよ。俺が言ったからとかじゃなくて」
「だって、一人じゃ気づけない」
「気づいてるはずだ」
「気づいてる…」
「あぁ」
「…のかな…?」
彼の言葉がどうしても理解できなかった。
それは、彼が言う対極の認めたくない思いがあるからなんだろう。
わからないことがその時私の全てだと思ってた。
彼の苛立ちを感じる。
彼が何も言ってくれなくて私も何も言えなくなる。
彼が黙れば無言が訪れた。


「俺さ」
「ん?」
「お前のカウンセラーじゃないから」
「ど…どういう意味…?」
「お前全然、話できてない。人と話せるようになってから電話くれるか?」


息が出来なかった。
慌てて空気を吸うのだけれど、口にたまる空気は肺を拒み口から漏れるようだった。
何故だったか、私は妙に冷静を保とうとしたのだ。


「ウ、ウチ、話できてな、いの?」
「全然」
「ゆうじ、解ったとか言ってくれてたし、会話にもなってたと思うし…」
「人ってさ、自分の気持ちを伝えるってことと同時に相手の気持ちも受け取ったり、相手を伺って言いにくそうなことがあれば手をさしのべたり、時には自分の言いたい事を相手に言わせてみたりするんだよ。そして最終的に伝えたい事を伝えきる。直球が無理ならカーブを投げてみたりしてさ、それがコミュニケーション」
「うん…」
「お前、俺に何が言いたかったの?」
「そっか、伝わってなかったんだね…」
「まったく。この長い時間なんだったの?」
「ごめん」
「人に気持ち探らせるようなことさせるな」
「どういう…?」
「俺が言ってることが解ってから電話してこい、な!」
「え、もう話してくれないの?」
「話はします、だから話せるようになってから電話してこい」
「ねぇ、いつから思ってたの?」
「え?ずっと、出会った時から」
「ずっと!?変わったって言ってくれたじゃん。ちゃんと話せるようになったって」
「だから、俺お前の何なの?」
「ねぇ、本当に何も伝わってなかったの?」
「あぁ、人形と話してるみたいだ」
「そっか…ごめんね」
「お前、そんなんじゃ人と話できないぞ」
「そうだよね…」


私はショックを受けているのだろうかと思った。
妙に落ち着いた感じ、妙に自分の周りの空気が静まる感じ、少し肌寒くとり肌が立つ感じ、そして客観視する感じ。
もしかしたら、一瞬にして私は心のない人形を演じたのかもしれない。
なのに、今までと変わらない自分だったこと、自分で証明した。


「せのり!」
彼が私の名を呼ぶ。
「せのり!」
何度も呼ぶ。
「せのり、返事は?」
言いなりになるのが嫌だった。
「せのり!」
呼び続ける彼。
「せのり!」
「はい…」
「頑張れるよな?!」
彼と話すことが出来なくなる。
声が、出ない。
選ぶ言葉がない。
「頑張れへんのか?」
息を吸い込んでみるが出る言葉はなかった。
「聞いてる?」
「うん」
出せる言葉はあるようだ…。
「頑張れるよな!」
「……もういい……」
「ん?何て?聞こえへん、ハッキリ話して」
「…もういい」


本当は助けて欲しかった。
それでも彼は守ってくれるって信じていた。
彼だけは解ってくれる。
失いたくないのに…。
一人ぼっちになりたくなくて…でも…。


やっと溢れた涙は、彼がくれた言葉でじゃなかった。
私は、何か言ってくれるだろうって…。
聞こえてくるのは、受話器から聞こえる切断音だった。


プーップーップーップーッ…。


携帯電話の機能はそれさえもさえぎり、待ち受け画面に切り替わり省エネ機能も発揮してライトをおとす。


掛け直せなかった。


もう、彼とも話できなくなった。


うぅん、私は初めから誰とも話が出来てなかった。


こいつ何言ってんだろう?みんな思ってたのかな。
なに考えてるか解らない、言われるはずだよね。
それなのに、私はモテるんだ。
男が欲しいと思って男がいなかったことはない。
セックスだけには困らなかった。
好きになった人に好きだと伝える方法を教えてください。
じゃないと、いつまでたっても私の気持ちは伝わらず、私は性処理機のまま生きていかねばなりません。


ウチ、彼女になりたいの。


セックスしたいの…に聞こえてたのかな。


あれ…彼は何が言いたかったんだろうか。
そっか、私は人の気持ちを知らないんだろうな。


本当にもういいや…。
だけど、それでも、私は…生きたかった。



[ ← 260 ]  [ 目次 ]  [ 262 → ]